◎この壺は満杯か?
この壺は満杯か?
ひろゆきさんの“1%の努力”を読んでいて、心が動いた話です。
ネットでは有名な話です、と書かれていましたので、知っておられる方も多い話なのかもしれませんが、わたし自身が常に考えていられるように記事に残しておきます。
みなさんは知っておられますか?
ある大学でこんな授業があったという。
『クイズの時間だ』教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。その壺に、彼は1つ1つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
『この壺は満杯か?』教室中の学生が「はい」と答えた。
『本当に?』そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出した。
そして砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。そしてもう一度聞いた。
『この壺は満杯か?』学生は答えられない。
1人の生徒が「たぶん違うだろう」と答えた。
教授は『そうだ』と笑い、教壇の下から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利との隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
『この壺は満杯になったか?』
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
『僕が何を言いたいのかわかるだろうか?』
1人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」
『それは違う』と教授は言った。
『重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れない限り、それが入る余地は、その後2度とないということなんだ』
君たちの人生にとって【大きな岩】とは何だろう、と教授は話しはじめる。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり…。
ここでいう【大きな岩】とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。
もし君たちが小さな砂利や砂、つまり、自分にとって重要性が低いものから壺を満たしていけば、君たちの人生は重要ではない【何か】に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果、それ自体を失うだろう。
1%の努力/西村博之
『自分にとっての大きな岩はなんだろう?』
つねにそれを問いかけてみよう。
この質問にわたしは即答出来ず、考えた結果、《子どもたち》という答えが出ました。
その答えが出た時に、《子どもたち》にまだ出会っていなかった28年間の人生では、何がわたしにとっての【大きな岩】だったんだろう。。と、ちょっと怖くなりました。
もしかしたら、大きな岩はもう入らないような壺だったのかもしれない。。。
今、大きな岩が何なのかわかる状態であることは、すごく有難いことです。
こんなこともやってみたい、あんな風になりたい、これも勉強してみたい、そんなタイプなわたしは、どれを軸にしていこう?とか考えてました。
わたしの軸ってもう決まってる。ってわかってなかったんだなと思いました。
この《この壺は満杯か?》の話は自分の大切なことを改めて気付かせてくれました。
わたしがやりたいことは砂利であり、砂であり、水なんだなと。
(砂利や砂や水も大切なことではありますが。)
自分自身の考え方が楽になったので、誰かの考え方が少し楽になったらいいな゚゚+と思いシェアさせていただきました♪
最後まで読んでいただきありがとうございました♪